book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

強風ニモ負ケズ

先日は風が強い日だった。

そんな日に、歩いていて遭遇したある状況について。

 

徒歩で出かけて少し先に横断報道。見れば信号は青の状態。

なんとか渡ってしまいたいな、と思う反面、まだそれなりに距離もあって、何より向かい風の強風が。

あまりの強風に歩くのだって少ししんどいぐらいに感じたとき、ふと心の中で

”こんな強風だし、青になってから少し時間も経ってる。いまさら走ったって間に合わないよ”

そう思ってしまった自分が居た。

 

そのときハッとしたのは、この状況が

”なんだか人生みたいだな”

なんて風に感じられたから。

 

人は皆、たとえ僅かな先に叶えたい夢や目標があったとしても、多少なりとも厳しい環境に居たり、現状に甘んじて居たいと思うと、周りを言い訳にして諦めてしまいがち。

「どうせ無理だから」とか、「今からじゃあ間に合わない」と言って、できない理由を自ら作り出しては、断念したことを正当化しようとする。

もちろん、その正当化が絶対的に間違っているわけじゃない。

時間は有限なのだからある程度の分別はあってしかるものだし、可能な事と不可能な事を見極めることは必要だ。

それでも、より重要なのは可能かどうかを見極めるために対象へと行う熟考ではなく、むしろ「そもそも、それは見極められるものなのか? 見極めてしまっていいものなのか?」と、そこに含まれる根本的な、夢や目標の達成を目指す動機自体を改めて見つめ直し、今後はその根本的な意識を見失わないようにする事こそが重要なのではないか? と思う。

 その上で「断念する事での正当化が、はたして誰にとっての正当化なのか?」を今一度吟味した上で、決断をすればまた結果も異なってくるはず。

 結局、反省を伴う後悔は結果なしでは得られないのだから……。

 

 

 

強風の日、徒歩で外出。

僅か先には青の信号、渡りたいけど強風の向かい風。

だから ”別にすぐ渡らなくたっていいや。ゆっくり歩いて、次の青を待てばいい”。

そう思い、その考えだってもちろん、間違いじゃない。

でも、もしこの日、強風の向かい風がなければ、きっと少し走って横断歩道を渡っていただろう。

それを強風のせいだとして諦める。

”あーあ、もう早く赤になってしまえよ ”とさえ思う。

 

 

多分、人生もこれと同じだ。

たとえどのような強風が向かい風として吹き付けようとも、心の底から達成したいと思う夢や目標であれば、たとえどのような向かい風があろうとも、それに抗って進む必要があるのだと。

 

 

 

そんなことを先日の強風の中、思うに至る。

ちなみにそのときの青信号は、途中から走ると間に合って渡りきれました。

案外、青信号の時間が長かったので。*1

 

 

*1:同様に、人生において存在する可能性としての青信号は、当人が思うよりかずっと、長い間は青の状態でいてくれるのだと思う。