book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

セブンイレブンのカレーパンとコロッケパン

セブンイレブンでパン100円セールをやっていたので、普段あまり買うことがないのだけれど今回ためしにと買ってみた。

 

それで買ったのは二つ。

『コクと旨みソースのコロッケパン』

『がっつりカレーパン』

 

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まずは『がっつりカレーパン』から試食。

 

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重量は一個124g。

今回はそのままで食べることに。

すると生地の厚さが意外と目立つ食感。

カレーは中に多めに入っていて、その味自体としてはマイルド。

生地は揚げてるはずなのに案外モチモチしていてそのままでも美味しい。

カレーの量が多いことで厚めの生地にも味負けしてなく、全体として生地のカレーとのバランスが良い。なので生地と一緒に最後までカレーをしっかり味わえた。

あと思ったのは、カレーの味はほんのりスパイシーで油脂感が強いって事と、なによりドーナツ生地の美味しさが意外だったということ。

 

 

 

次に『コクと旨みソースのコロッケパン』。

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一個の重量は158g。

 

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パンのサイズにしっかり見合うほどにコロッケは大きめ。

食べてみると、パンはしっとり。

コロッケ自体はソースの味を含めて甘い味。

まったく持って普通の味のコロッケであって

「特徴のなさが反って特徴では?」と安易ながらに思えたほど。

例えるならのり弁の少し豪華版の、コロッケのり弁についてくるようなコロッケの味で、換言すれば業務用冷凍コロッケそのものの味。

ただ味はいたって普通であっても大きさはある。

だから食べ応えは案外あって、朝食はこれ一個でおそらく十分なほど。

そういった意味ではコスパいいかも。

ただ全体的に大味。

大きいのが良いだけの至って普通のコロッケパン。

その普遍性と食べ応えが人気の理由かと。

 

 

蛇足。

コロッケパンを食べて最初に感想をまとめるとき、ふと誤字ってしまい

①「大きいのが良いだけの至って普通のコロッケパン。」

と書こうとしたところ、

②「大きいのが良いだけね至って普通のコロッケパン。

と間違える。

しかしそこでは、むしろ間違えた文章のほうが「面白いな」とふと気づく。

最初に書こうとした①では、感想として無機質だが、誤って書いた文章の②では、

「だけの」が「だけね」と口語風になったことで、そこに人格が宿り、

姐さん的キャラによる、辛辣な意見を呈している情景がありありと浮かんできたからだ。

そんな一文字違いで、これほどにも文章によって感じるもの、見えてくるものが違うとは、まことにいとをかし。

 

 

モンハンの売り上げはやはりすごい!

「好きなゲームメーカーは?」

 

と問われれば、

答えとしては「セガ」「SNK」「カプコン」「バンナム」「5pb.Games」「フロム」…と軒並み続いていくのだが、そんな中でも早くに挙げられるであろうカプコンアーケードゲームをはじめ幼少期から慣れ親しんだメーカーであり、尊敬と畏敬の念を抱かざるを得ない偉大なゲーム会社。そんな折に嬉しいニュースを目にしたのだけど、それがこちら。

 

カプコンさん、史上最高益になってしまう : VIPワイドガイド

 

なんでも、昨今に発売されたPS4モンハンの売り上げがカプコン至上、過去最高を記録したらしい。

その本数なんと790万本!

 

なんという売り上げ本数!

そして売り上げを単純計算してみると、新品の定価をおおよそで7千円と仮定してみても…

単純な売り上げ金額だけで言って、550億円

 ( д) ゚ ゚

セガならすぐにでも新ハード作りに着手するところだ!

 

 その豊潤な利益で、カプコンランドでも作らないかな…*1

 

*1:SNKランドには一度は行っておきたかった。

言語へのツンデレをみせる前衛的作品『アサッテの人』

 

アサッテの人 (講談社文庫)

アサッテの人 (講談社文庫)

 

 思いのほか面白かったので推奨。

「もう、意味のある言葉なんて、大っ嫌いなんだから!!」

なんていうふうな、言葉に対するツンデレが登場する作品。

言語ツンデレ!!

こんな革新的なジャンルな小説があるとは…芥川賞もあざといなとつい思ってしまうような作品。

なので言語学好きはともかくとして、哲学などにも興味・関心がある人にはうってつけの文芸作品であって、一読をおすすめ!

 

4月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

4月に読み終えた本は32冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『宇宙兵志願』

宇宙兵志願 (ハヤカワ文庫SF)

宇宙兵志願 (ハヤカワ文庫SF)

 

 自費出版したところ、瞬く間に大ヒットしたという作品。それで注目して一読。

すると確かに面白い。

設定はありきたりで、単なる傭兵もの。そして主人公の一人称の視点で語られる文体。

SFとしての設定はスッと入り込んできて、一般受けするほどには読み易い。

あとは描写が巧みで、映画を観ているような臨場感がある。

激しい戦闘、危機迫る情景もあるかと思えば、恋愛要素も練りこまれており、まさに王道な娯楽作品テイストは満載。

だからこそ売れたというのも納得の小説。エンタメ小説として普及点以上であると思うけれど、しかしその分内容がライト過ぎてメッセージ性は薄め。それでも、アメリカンな機智の効いた会話劇などは好きだった。

 

 

第9位

NHKスペシャル 病の起源 うつ病と心臓病』

NHKスペシャル 病の起源 うつ病と心臓病

NHKスペシャル 病の起源 うつ病と心臓病

 

うつ病にしろ心臓病にしろ、語られている内容は平易。

しかしその分わかりやすく、注目すべきトピックスが思いのほか多かった。

文明から離れた生活をしている一部の原住民では鬱が少ないという観測結果は予測できたが、注目すべき点はセロトニンの不足のみが欝になるわけではないと述べていることや、あとは編桃体の役割に大きく注目していたこと。また、脳の断面図を載せており、これによって編桃体がどのような形で(確かにアーモンドに似ていた) 、どの位置にあるのか、非常にわかりやすくて良い。そしてこの編桃体こそが欝症状の生成と大きく関わりを持つとの見解を示し、海馬も関連して強烈なストレスを受けた記憶ほどよく残すメカニズムを説明する。これが欝の原因の一因として解説し、しかしこうしたメカニズムこそ生存のために残された本能的機能。しかし生存に有利へと働くための機能が、昨今においては病の源であるという事実からは、糖尿病と同じく現代社会へとの適応による不具合であると思わせた。

心臓病についてでは、二足歩行になったことで人は心疾患を患うようになったとまず説き、ミイラの遺体を調べたところミイラになっている当人も生前は心臓病を患っていたことが判明したとのことで驚いた。

つまり心臓病は、短絡的にいって現代病的な見方をされることがあるものの、実際には太古からある、ありふれた病気であったのだと。

他にも、「人間はcgという酵素がなくなっていることにより、脳が今ほど発達したのではないか?」という仮説などは特に面白く、思いのほか新しい知見があった。

そして部族が鬱にならない大きな理由として「平等社会」を挙げており、収穫した獲物を平等に分け合うことなどを特徴的と述べる。だが過度な平等社会の良さを主張する姿勢には、暗に「共産主義」を推奨しているようであって少し笑った。

 

 

第8位

『青の数学』

青の数学 (新潮文庫nex)

青の数学 (新潮文庫nex)

 

数学をテーマにした小説、ということで気になり購入。

主人公が真摯に数学と向き合おうとする辺りは何処か、『三月のライオン』との類似性を思わせた。「数学とは何か?」と思弁的に己へと問いかけ続ける姿勢などは特に顕著で、「どうして数学をするのか?」との答えは、完全な形では示さずとも、その示さないところにこそ答えがあるように思えてくる。

そのような方程式では解けぬ答えを、本書の一読後には何かと思わせる。

数学が好き、数学に興味がある、という人にはおすすめの小説。読んで損はない。

 

 

 

第7位

成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝』

成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)

成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)

 

52歳から新事業に挑戦!

そうしたバイタリティの凄まじさを感じさせる一冊。

昨今の企業家によくある成功与太話、的な趣を感じないでもなかったがそれでも身に染み込む言葉は数多く、挑戦することと失敗する事の重要性についての金言は多い。

ユニクロの柳氏による解説も印象的で、アウトサイダーの真髄しての思いを大いに語る。いつでもチャレンジ精神を持ち続けること、立ち止まらず、現状維持に満足しない事。よく言われる言葉ではあるが、レイ・クロックこそまさにそれを実践した人生といえ、その手本を示すような自伝だった。

マクドナルド好きも必読の一冊で、フィレオフィッシュの開発秘話が語られていたり、バンズに対するこだわりも多少語れていているのでパン好きにも楽しめる内容。

また、こうしたマックの進出が如何に他の企業も巻き込み企業を、国を成長させたかもわかる内容であって、マクドナルドとはまさに、ひとつの文化体系の形成を促した社会学的な側面もあるのだなと勉強にもなる一冊。

 

 

第6位

『ゾウがすすり泣くとき---動物たちの豊かな感情世界』

ゾウがすすり泣くとき---動物たちの豊かな感情世界 (河出文庫)

ゾウがすすり泣くとき---動物たちの豊かな感情世界 (河出文庫)

 

 表題から伝わるニュアンスどおり、本書は読むと人間以外の動物でも如何に感情豊かであるのか?がよく伝わってくる。

なかでも「像も涙を流す」とした事実には驚かされた。

そして本書では、アカデミックな記述では動物のこうした感情的な行動や表情を「感情」として示すことをなぜ咎められているのか?という事態について辛辣に解説しており、一種の批判本的な側面も持つ。

それでも印象としては、一読すると読む前と比べ動物がより鮮やかとなって感じられるようになる内容なのは確かで、たとえそれが人間原理的な思惟であるとしても。

そして手話を活用できるオラウータンや自ら曲芸の努力に勤しむイルカなどはもとより、なにより驚いたのは像の感受性の豊かさと人間らしさである。像が絵を描くということは知っていたが、人情的とも言える利他性を持ち、さらに歌やメロディを好みある研究隊の一行が夜にギターを弾いていると寄ってきた、とする事実は印象的。

さらに本書の終盤、動物は芸術姓を持つか?とした章の内容は興味深かった。そこでは少なからず、昨今の行動主義者が唱えるような、単に生存競争のための行動だけとは示しきれないような、独自の行動が示されそれこそ人間的に言って「芸術的行為」に他ならないエピソードが彩り豊かに語られていた。故に煎じ詰めれば言葉遊び的なことになりそうだが、本書を読むと「少なからず動物にも感情はある」とそのように思えるようになってくるは確かだ。

本書は「動物に感情はない」とする傾向を否定する内容で、しかしそれは「人間原理的な、ヒューリスティック的な考えを否定」する従来の動物学を単純に否定するのではなく、そうした従来の動物学的な見方こそ、実は「人間原理的な、ヒューリスティックな考え」であるとことを示しているよう感じた。つまりそれは、より俯瞰した視点からの見方であり、そして人間であるからにはそうした人間の考察こそ真でも偽にもなり得ないことを主張しているのだと思う。

「動物と人間は違う」とは従来の、いわゆる西洋文化的な、動物を人間以下と捉える見方に賛同するのではなく、あくまで価値観や器官を通して知覚するものが違うということを示す。

だがそれでも、本書では実に人間らしい。それこそディズニーなどに出てくる動物のような、人間らしい動物のしぐさや行動が示され、水に落ちたサルを他のサルが反射的に救いに行くエピソードや、沼地にはまったサイを像が危険を呈しながらも助けに行く話など、どれも共感できそして感動的とさえ言える。

あとは西洋における動物実験の残酷さと畜生さもわかる内容。ゆえに、動物に対しての残忍な態度に対する摘発的な内容にも思えた。

 

 

第5位

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

 

平易ながらも生命についての論述は面白さを存分に伝えてくれた。

なかでも「歳をとるとどうして時間が過ぎるのを早く感じるのか?」との疑問に対しての答えは、従来よくある「歳の数としての分母が増えるため」ではなく、しっかりと生物化学としての答えが示されており勉強になった。

「人間の体内時計は、体内たんぱく質の分解と合成に連動しており、それが体内時計の秒針となっている。すると加齢によるたんぱく質新陳代謝は鈍くなり、つまりそれによって体内時計の進みは遅くなる」。

これによると、実際には体内としては時間を遅く感じているというのが事実であり、実際の秒針に新陳代謝が追いついていないため時間にずれを感じるのだという。この説明で思わず納得。加齢と時間経過に対する感覚のずれに対しての具体的理解を得られた。ほかにも、海外における研究機関における日本との違いについて述べたり、あとはES細胞の解説もあって、その細胞の発見経由や優位性、可塑性などについても知ることができる。

ほかには、胎児が生物学的にはには”体内”にいるわけではないとわかったり、細菌が発見された経由やウイルスの驚異的なサイズについての解説もある。

そして表題でもある『動的均衡』ということについても解説しておりそこで「生命とは川の流れのように流動的なもの」であると知らしめる。

還元主義に対して懐疑的であるのも特徴的であり、本書は実に平坦に書かれており基礎的で生物学に対する初歩的な内容。でありながらも、基本的なことも表現豊かな言葉を用いられて丹念に語られると、また違う側面が見えてくるようであって楽しめた。

 

 

 

第4位

『幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学』

幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学

幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学

 

「幸福とは?」といったことを科学的にも様々なデータを通して解説する内容。

そこでは人間の記憶のあいまいさを語り、「幸福」とは記憶にも大きく関与し、そして本書の一番の特色として「人間は動物の中で唯一○○」と断言するのは心理学者として尤も恐れる事だと断りを入れながら、それでも著者は「人間は動物の中で唯一、想像する動物である」とはじめに言い切る。そこで本書は、人間の想像性についてスポットを当て、ヒトが未来を想像することの意味と、その利便性も欺瞞も多いに語る。すると検証結果などから、人間が未来に描く想像は如何にバイアスがかかっているのかを知ることができる。示す内容は確かに多く思い当たる節があり、衝撃的やショックなことほど心的免疫が働き、それにより反って好印象な思い出になるという仕組みは誰しもが実感することではないだろうか?

だからこそ中途半端よりは強烈な失敗体験のほうが後々には「幸せ」に感じるという説も経験則的に納得でき、それこそ「やった後悔より、やらなかった後悔のほうが大きい」という、よく言われるこの疑問の答えを呈しており、思わずハッとする。

その答えとしては流れどおりに示せば当然、「やらなかったことの後悔のほうが大きい」であり、換言すれば「やって失敗したとしても、そのほうが「幸せ」に感じる」ということである。何故なら、たとえ失敗しても免疫バイアスが働き失敗自体をポジティブに考え「あの失敗があったからこそ学べた」と糧にするからだ。

だがやらなかった場合、その『学べた』という事自体の内容を想像できないため、想像力の欠如が免疫効果を抑制してしまうから。この理論を読み、なるほどと合点し、この「やった後悔より、やらなかった後悔のほうが大きいか?」問題におけるひとつの決定的な答えを知れた気がした。

そして、脳の部位と未来予測に関する記述も興味深く、ロボトミー手術のときによく見られた事態というが、その手術の際に摘出した脳の一部が原因で未来についての想像を張り巡らせなくなったという患者の実際。

そこから人が希望的観測を抱く理由や、想像を生きる糧とする理由の推論が可能に。すると「幸せ」といった概念に対する相対主義的見かたも、実際にはそれ自体もまた希望的観測である可能性に換言されるのだと。そして「未来の予測は今現在の自分の心境や立場、状態に大きく左右される」という現象は、「そんなの当然だろ」と軽視されて見過ごされがちだが、こうした意識の持ち方こそ実際には「幸福とは?」を考える上ではとてつもなく重要なことのだと知らしめる。

あとは人が物質的豊かさに「幸せ」を求めることで社会が潤い回っているのだと簡潔に示し、なるほど表向きには幸福についてあれこれと人は語るのだが、実際にそうなれば人はその「幸せ」状態になると停滞してしまう。すると社会の発展は望めず、社会的イデオロギーとしての「幸せ」こそが、今の社会を成立させているとは資本主義の特徴ながらも皮肉的。

人は誰しも自分を特別であると思うように、自分の脳の欺瞞には気づかないもしくは気づき難い。本書はそんな状態から多少なりとも脱却するすべを教えてくれる良書。

そして「脳は記憶を料理する」という表現は、実に言い得て妙だなと思えた。

 

 

第3位

『恋する原発

恋する原発

恋する原発

 

くそ小説。(賞賛の言葉)

なんとまあとんでもない作品。

PTAが読んだら卒倒しそうな作品であるのは間違いなく、あらすじの

大震災チャリティーAVを作ろうと奮闘する男たちの愛と冒険と魂の物語。

これだけでも、インパクトは十二分。

さらに内容としては、まさにそのあらすじそのままなのだからすごい。

ただ序盤はそうした下品さに怪訝な思いこそ多少抱いたが、中盤にたどり着くころには少しずつ魅了され始めて、半分過ぎに至る頃には所々で爆笑。

ここまで単純に、笑える小説とは実に久しい!

外で読んだ一冊だが、それでも思わず笑声が漏れそうになったほど。

ある場面における「これを流せば世界中で戦争がなくなると思う…」は至極名言であると同時に、妙に納得させられた。

終盤には、災害とその後の世界についてのまじめな考察があるのも特徴的で、評論としての内容。ここでは震災に対して真摯に向き合い、人間が科学を振りかざすのではなく、科学に振り回されている現状を指摘。

しかし本書の醍醐味はやはりコメディさであって、そのむちゃくちゃ具合。

ただこの作品の評価すべき点はこうしたお下品さのみではなく、”言葉としての表現”、表現の自由に対しても大いに挑戦状を叩きつけているところにある。

天皇」の名前が出てきたときには思わずどきりとしてしまったし、こうした震災をねたにする時点で、一部の人から非難の声すら上がりそうな中、言葉の表現についての追求とする姿勢は賛同すべきものがあった。

原発事故へのチャリティとして、あえてAVを作る。これだけでも人によっては不謹慎な内容に思えるであろうが、しかしこういった事だからこそ、これをテーマにしたのだなと読み終える時には実感できた。そんな作品。

 

 

第2位

レヴィナスと愛の現象学

レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)

レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)

 

 レヴィナスによる解釈やその思考についてを、万人に向けできるだけわかりやすく教えてくれる一冊。

人どなりと「自己」の存在性と孤立性とその発生についての解釈は独特であり、その思惟の独自性には思わず興味を惹かれた。自我を「家」にたとえ、他我によってのみ生ずるとする考え方は脱構築的であり二項対立的だ。

あと本書は読むことで、「”師”を持つということとは、どういったことなのか?」を学ぶことができる。それは単に、教えを請うための存在を見つけることでなければ、従事するべき尊敬する年配者を発掘することでもない。

口述による教えによる重要性と、そこでのノイズすらも重要視する思考のあり方は、こうしたデジタルにおける情報が蔓延している昨今においてはまさに謀反するような考え方であり目から鱗。少なからず刺激的に思えた。

そして面白いのは、本書の感想を書き示すこの行為こそが、本書を通じて「理解の本質ではない」ことを学んだことに対する齟齬であるということであり、よって本書こそは感想をまとめることがある種の意味においては不可能ということになる。そうした知的体型の流動性、いわゆる「均衡生命」的な示威さや情報性、思考法についてを教えられた。そしてレヴィナスの思考こそ「開示性」を示したものだと理解でき、故にこれでレヴィナスについて語れるわけでもある!こうした懐の広さこそ、レヴィナス哲学の一番の特徴では?とつい思う。

本書はそうした知的体系の勉強にもなるし、思弁のあり方としての可能性を広げてくれるようであって素直に面白い。とにかく、思考の幅を広げる上でも役に立つのでレヴィナスに興味がある人もない人も、一読することをお勧め。

 

 

第1位

 『予想どおりに不合理』

 安心と信頼のハヤカワノンフィクション文庫。

本書も例外なく面白く、内容としては人間の根源的なヒューリスティックな面を暴きだそうとするもの。

なので当初、「これって『ファスト&スロー』の類似本?」と思うが、読み進めると枝分かれ。こちらは語り部がよりユーモアにあふれ、巧みなアナロジー、実験結果などを示すことによってより平易な解説を可能に。

そこで見えてくるのは、人間の不合理な行動の数々。なかでも「ゼロコストのコスト」のについては大変興味深く、「ゼロ円」が持つ魔力については考えさせられる。

基本的には行動経済学の一冊。

行動経済学というだけあり従来の経済学における合理性のみを取捨選択するのではなく、社会的と市場的に考えることが重要といったことを取り上げる。そこでは金銭によって生ずる義務感と疎外感についてを述べ、「聖誕祭に金を払えば白い目で見られて翌年は一人で冷凍食品を食べることになるだろう」というたとえ話には笑った。

この例に見られるように、人は時によっては無償のほうが自らやる気を出して働く、というのは興味深くそして共感のできること。そして各々の倫理観に関する実験も相当に興味深いものであり、実験の結果として十戒を想起させるだけでも、そうしない場合よりも実験において不正率が下がった!という実験結果は本当に多くの示唆を示しているように思えた。端的にいってしまえば、これこそ神や宗教のある理由を端的にも解明しているのだから。

本書はタイトルどおり人間の不合理さを解説。

しかし気づいていないからこそ不合理であり、その不合理を気づかないことに対する不合理さについても考えさせられる。なので読了するころには、より鮮明な視界を持つことができるようになるであろう一冊。

人間理解はまず己の理解から。

単純に読み物としても面白いので、たいへんおすすめ。

 

 

悪徳へのルサンチマン

このスレを読んで気づいたこと。

blog.livedoor.jp

内容としては、平易に言って「うそつきに対する痛烈な批判」。

 

しかしここでふと疑問に思ったのは、どうしてこうも「そのうそつきに対して痛烈な批判的態度をとるのか?」ということ。

そんなことは自明で、「うそつきことは悪だから。そしてこの場合、うそをついて周りの人を傷つけて、信用を裏切っている」。

という主張があるかもしれない。

確かにその主張は尤もとで、しかしここで一歩立ち止まり、考えてみてほしい。

ではどうして、我々はうそつきを批判するのか?

倫理的な理由、道徳的な問題、その他にも数多の意見はあると思う。

そんな中での確実なことのひとつとして挙げられるのは、

「うそをつかれることで、それを信じた自分が損をする」

ということがあるように思える。

囚人のジレンマゲーム』的に考えれば、自分が他人にうそをつき、他人からうそをつかれない、というする状態がいちばんに利益を得られるかもしれない。

しかしこの戦略がうまくいかないのは自明で、簡易にいって持続性がないからだ。相手がうそをつかれることを学んだ場合、次に相手はこちらを信用しなくなる。

だがそうして疑心暗鬼の状態が蔓延れば、生活する上でいろいろと厄介になってしまい、わかりやすく言えば”お金”だって信用の上に成り立っているからである。

よって『囚人のジレンマゲーム』のような、いわゆる「騙すか騙されるかゲーム」を行った場合、おおよそ結果として「相手がうそをつけばこちらもうそをつく、相手がうそをつかなければ、こちらもうそをつかない」とした報復態度に帰着する。

 

といっても現実社会でうそつきが蔓延らないのは単に、こうした相手からのうそを恐れるからではなく、寧ろ、うそをつきそれが露呈することによっての社会的地位の損失を恐れるからという理由のほうが大きいように感じる。

 では仮に、「社会的地位のない人間ならば、社会的地位のある人間よりもうそつきか?」とした場合、結果的には真になることのほうが多いと思う。

もちろんこれは推測で、直感的なもの。ヒューリスティックであることも否定は仕切れない。けれど私たちは、こういった直感的なものを信じる傾向にある。おおよその人が、路地裏にいるやさぐれたホームレスより、新人議員のほうがうそつきであるとは思わないだろう*1

 

 つまり通常、人は何かしらの社会的地位がある場合において、うそを忌避する。

よって人は、忌避する「うそ」それを発する人間を非難する。

「うそ」はいけないものであるから。

 

そう考えたとき、ふっと浮かんだひとつの考え。

それが表題のこと。

要するに、人がうそを忌避するような強固な姿勢こそ、実は『悪徳へのルサンチマン』なんじゃないのか?ということだ。

 

 『ルサンチマン』、ニーチェが作り出したこの用語の基本的な意味としては、

恨み(の念)。強者に対し仕返しを欲して鬱結(うっけつ)した、弱者の心。

 基本的には、社会的立場における弱者が、社会的立場の強者にむけて抱く感情とされている。

「では、悪徳へのルサンチマンとは逆では?」

と疑問にとらわれようが、それこそまったくの真逆。

つまり、「うそをつけない社会において、うそをつくという本来は許されない行為をとる者こそ”悪徳的社会立場の強者”であり、うそをつきたくても状況が許されない”悪徳的社会立場の弱者”が、その鬱憤をぶつけるというかたちで、うそつきを非難しているのではないか?」ということである。

 

本来、我々はよりうそつきであり、うそをつきたい衝動に駆られる。しかしそうした衝動を咎めるのは社会的地位であったり、論理的な思惟によるものに他ならない。

だがそうした概念は社会的・人為的に作られたものであり、自ら課しているルールを破る者がいれば、それを排除することこそが、ルールを保つためのルールになる*2

 

話を戻す。

クロちゃんのうそをつく行為が、こうも批判にさらされる理由。

つまりそれは、「俺はうそをついていないのに、こいつは好き勝手にうそをついている!だから屑だ!」として、自己の叶わない行為(うそをつくこと)を鬱結した念としてぶつけているのではないのか

 

人は幼いころから「うそをついては駄目だ」と教えられる。

それは社会に適応して生きるためのルールだからであり、同時に、人が社会的生物としての役割があるからである。

社会的地位が高い者への妬みが生ずるのは、社会的地位が高いことによって得られるものを欲するからであり、だからこそ、うそをつくことで得られるものを欲することも当然存在する事象。しかしうそにまとわりつくリスクは「ルールを破る」ことであり、それは社会的地位の高いものが持つ「信用」を失う行為へと直結する。

 だが成功したうそは逆に「信用」を向上させる。

そのうそがうそであるとバレない限りは。

 この、「ルールを破る=信用の高い地位にある」という本来ならば≠になるはずの状態の存在性を、何よりも否定するのではないか。それは「信用の高い位置にある」ということへの信用の存在を崩壊させるからに他ならず、「ルールを破る」というのは換言すれば「ズルをする」ということに他ならない。ある一定の人々が、まったく苦もせず条件もなしに、給料を与えられているとすれば憤りを感じるだろう。それは働くことの苦労を知っているからであり、それさえも給料の一部と認識しているからだ。

「ズルをする」のを忌避するのは、その行為が反社会的だからであり、だがこの「ズルをする」の一部事象が社会的に容認されれば、それは「ズルをする」ではなくなる。

すると誰もが、その「元ズルをする」行為に対して鬱結した念を向けることはない。

なぜなら、それは既に誰でも容易に行えることになったことで「社会的価値」が損失し、そこにぶつける鬱結した念が存在しないのは、ぶつけるべくして存在した「高低差」がなくなっているからである。

つまり『ルサンチマン』なる概念は、たとえそれが一般的な論理においての悪徳であろうと、それが結果的に高低差を生み出す行為もしくは得ようとしても得られない(この場合、行動として)事象に対して生ずる情動なのでは?と思うのだ。

だからこそクロちゃんは批判されるべき存在であり、批判されなくては、強固に築かれたルールの一端が崩壊する危険性がある。

そのように考えれば、うそつきが激しく非難されるのも納得であるが、それは同時に、築かれたルールを再認識するだけのことにも他ならない。

ホッブス自然権の存在を訴え、それは人としての凶暴性について目を向けていたからでもあった。しかし昨今においては流石に、ヒト本来の性分として「ルールが存在しなければ激しく凶暴かつ利己的に尽くす」と考える者は少ないだろう。 

それでいながらも、「うそをついてはいけない」というものは倫理的なルールとして強固にそして妄信的にも信じられ続けている。それは相手を裏切らないためでもあり、相手からも裏切られないための、よりよい相互関係を求めてのルール。

しかし、そこで「うそをついている」者を批判する行為は、正確には「うそをついていること」を批判しているのではなく、「ルールを破っている」ことを批判していることを自覚するべきであり、「ルールを破っている」ことを単純に批判することは、「ルールを破りたいけれど破れない」ことに対する鬱結の念である可能性を考えなければならない。

 

なぜなら、それこそ「悪徳への憧れ」から「悪徳の実行」への萌芽させる因子になり得るからであり、故に重要なのは、それが「悪徳」と定めるルールの本意を理解しようとする事だ。

 

さもなくば、「うそつき」を「うそをついているから」という理由のみで批判し続ける限りは、同じ穴の狢ということになるのだろうから。

 

*1:もしここで「いいや、議員のほうがよっぽどうそつきだ!」と思う人がいる場合、では仮にも双方から「五千円を貸してほしい」と頼まれた場合を想像してみると分かりやすい。五千円を貸した場合、果たして実際に返してくれるのはどちらのほうか?想像に難しくはない。

*2:実際、このトートロジーはとても興味深いと思う。しかいこれを考察すると長くなるので別の機会に

「Aではない。したがってAである」この文章は成立するか?

今のところ思いついたのは、「無知」って単語ぐらい。

 

「無知ではない。したがって無知である」

 

ソフィスト批判するアリストテレス的な感じで。

しかし、ちょっと苦しいかな…。

 

インディーズの配信ゲーム『Salt and Sanctuary(ソルト アンド サンクチュアリ)』について

www.jp.playstation.com

 

2DのアクションRPGで、なかなか面白そうなゲーム。

 

といってもレビューでもなんでもないのだけれど。

じゃあ何か?って言えば、このゲーム。

ふと調べると、このゲームの製作陣に「まじか!?」と度肝を抜かれて驚いたので記述。

 

このアメリカ生まれのインディーズゲーム、製作はJames Silva、Michelle Silvaという夫妻とのこと。

そして注目すべきは、この製作チームのコンサルタント

 

それが

『Team Renegade Radio』。

 

 

さらにTeam Renegade Radioのメンバーによる厳つい顔つきがこちら。

 

 

 

 

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「えっ?」

と思った人、この画像が間違っているわけではない!

 

公式サイトにおいても紹介されている事実なのだ。

 

ゲーム製作のコンサルタント猫2匹!!

 

 

もうこれだけで、気になるゲームが増えてしまった!

 「猫の手も借りたい」

なんて言葉があるが、いやはや今の時代には猫さえもゲーム製作に携わるようになるとは…

 

猫おそるべし!!