延命に見る ”+” と ”-” と ”ゼロ”
こういった延命関連の記事を見て、ふと思ったことであり、
酩酊状態のようにして綴った内容であるので、あしからず。
確かに、上記の技術が確立されれば延命につながり、
人の寿命はさらに延びると思う。
けれど、有史以来、人類は医療技術を発展させ続け、
結果的には寿命を延ばすことに成功している。
しかしそれは一方的な寿命の延長であって、つまりは”+”の概念。
年を重ねる、つまり長く年を取れるようにする研究は進んでいるものの、
逆の概念、”-(マイナス)”の概念に対する生物的な知見の進歩は乏しい。
つまりは寿命の反対、
”死”に対する研究の進展、進歩のなさは著しく、
もしこの系統に対しての進歩があったのだとすれば、それは”数学”上にあるのみで*1、
生化学的な方面では、この”-(マイナス)”方面に対する研究は進んでいないのでは?
と、ふと思ってしまった。
一般に、”死”や”死後の世界の研究”などと言えば、
トンデモ科学に思われ、超心理学などはエセ科学とする節があると、感じてしまう。
けれど不思議なのは、
「死ぬとはどういうこと?」
と誰もが疑問に思いながらも、深く追究しようとするのはごく一部という事実。
そして、”+”的な延命には力を注ぐのに、”-”的な解明(延命?)には力を注がないこと。
”-(マイナス)”方面に対する研究が、結果的に現状の言うところの”延命”概念に繋がる可能性もあるのでは?
”ゼロ”、という存在と概念が長い時間をかけて理解され、受け入れられたように、
”死”や、”死後の世界”に対する、パラダイムシフトも訪れるのかも?
「無がある」、”there is nothing(”無い”がある)”
これら言葉には矛盾を感じるのに対し、
「ゼロがある」
というのは、理にかなって思える不思議。
そこにゼロと言う形容の難しい存在があり、
ゼロが死を意味するのかは微妙なところ。
そして、ゼロの先、”-(マイナス)”の先にも、ある種の形を呈した命があるのか今は分からない。
関連して印象的な言葉が、
数学者ロバート・カプランによる、
この言葉。
空想と事実の違いは、
空想は自分の好きなようにしていいのに対し、
事実は宇宙が満足するようになっているという点です。
こうして思うと宇宙にも一定の意思と、生命性があるように感じ、
そして、その生命性が今、”+”の方に動いているのか、
”-”の方に動いているのかは分からない。
延命として”+”の方ばかりに注目する中、
”-”のほうにも注目する価値はあるのでは?
なんて上記のリンク記事、
首切りして他の体に繋ぐトンデモ延命方法を読んでは思うのみ。
あとはこの記事、徹頭徹尾に整合性があまりなく、
どうやらこの記事自体は、結合手術に失敗した模様。
実際の「頭部移植手術」の方は、成功してもらいたい。