book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

パン屋のおやじは考える

 

パン屋のおやじは考える (1979年)

パン屋のおやじは考える (1979年)

 

 新書サイズの本であり、一瞥して「自己啓発系の本かな?」との思いも過ぎるが、

パン屋主人の著書とあって興味が沸き、一読することに。

すると内容としては、注目に値するパン関連の含蓄があり、

なかなか読み応えあった。

 

著者である望月継治氏は『神戸神田精養軒』の社長であり、

事業拡大に成功した功労人!

そうした経歴の中、パンに対する思いを述べる際、

情緒的な思想を主立てず、健康や栄養に関しての観点から述べる内容であり客観性を多少なりとも感じさせる構成。

 

その中でも注目なのは、『クネッケブロード』と呼ばれるスウェーデンのパンに注目している点。これはビスケット状のパンで、ノルウェースウェーデンでの学童給食に採用されたパンとのこと。

その理由が注目に値し、結論から述べれば、

良く噛む食習慣を小学生時代から身につけさせるため。

 

それでは別にこのパン以外でも良いのでは?

との疑問がわき、然しこのパンの魅力は固さのみならず。

虫歯予防でもあり、その理由に訳がある。

 

虫歯にならない理由は、

①噛むことにより歯に圧力が加わりエナメル質を丈夫にする。

②噛むと唾液のアルカリ度が強まり、口中に残る炭水化物が発酵酸化して歯を損うのを中和する。

③全粒粉製品は酸化を抑える働きがある。

ライ麦にはふっ素が含まれている。

⑤噛むことにより唾液腺ホルモンが分泌され、

⑥ふすま、胚芽が入っていてビタミンBやEなどが豊富

 

つまり、『クネッケブロード』は健康長寿の一因とされる要素を兼ね備えている、ということだ。

著者は 本場の工場を見て周り、着想を得て日本での生産も実現させたそうだが、このパンのことはあまり耳にしたことがない。どうなってしまったかは気になり、著者が思惑したようには昨今の日本で見られず、残念ではある…。

 

ノルウェーでの朝食、通称『オスロの朝食』は世界一と呼ばれるのだと、本書を読み始めて知った。

この『オスロの朝食』では、クネッケと20種類の副食のあるバイキングスタイル。

冷たい料理で予め準備ができるため多種類であり、食べる人がそれぞれ選択し組み合わすことができる。その内容は決して肉に偏していなく、漁業国なので当然魚も利用する。脂肪摂取量がアメリカとあまり変わらないのに、冠動脈硬化疾患がアメリカの3分の1!

つまり当時からノルウェーは国民栄養政策が進んでおり、先進国であった模様。

その影響と衝撃を詳細に綴り、本書内ではその和食版をぜひとも日本において普及させるべき!としている。

 

 

昨今では一般に向けても徐々に有名になりつつある

 『シュタインメッツ粉』

をいち早く取り上げているのも印象的。

その解説も充実しており、

 

1890年ドイツ人シュテファン・シュタインメッツは、穀物の命を守るために立ち上がった。彼は穀物の微毛と果皮だけを除去して、穀物の生命力を全て利用する方法を考え出した。

微毛と果皮は穀物の生物的栄養統一体には属さない。

それは本来の種実を保護する外壁にすぎない。

では種子を傷つけずに保護器官だけ除去できるのだろうか。

それを彼はやってのけた。水と空気の力を借りて。

果皮は吸水性があり、種子は耐水性がある点に彼は着目した。

穀物に一定の時間一定の水分を吸収させる。

果皮は水分を吸収してふやける。

種子はまだ水を吸収していない。

その間に穀物穀物を揉み合わせ、ふやけた果皮をほごす。

圧縮空気を吹き込み、果皮の離脱を促進させ、逆に空気を吹き出して果皮を種実からはぎ取る。かくて乾燥状態で種皮以下の本来の種実が取り出せる。

それをひいたものがシュタインメッツの完全穀粒粉なのです。

 

この完全穀粒粉なるシュタインメッツ粉を生み出すための歳月には十年を要したという!さらにこの方法は栄養面に優れるのみならず、公害汚染排除に極めて有効であることが判明したそうである!

穀粒全部をひいたパンでは、栄養に優れているが汚染除去にはならず、そのまま全てを食べてしまうことになる。

そうした観点においても、シュタインメッツ粉が当時においても如何に前衛的であるか

を知らしめた!

これらを包括し、シュタインメッツ処理した国産小麦におけるパンが、日本において最も安全で健康的なパンであり、それが一種の理想のパン!とのこと。

同時に、国産小麦は貯蔵するとき殺虫剤の燻蒸をしていないことを褒め称え、日本小麦を使用することの重要性と、パンとは本来、地産池消のものを使用して作るものだと訴える。

 

パン用小麦というとすぐ蛋白質の良し悪しを論ずるのが通説。

強力小麦はグルテンがよく伸びるのでボリュームが大きくなる。

だが蛋白質は味がない。

味は澱粉の良し悪し。

だからパンの良し悪しをボリュームで決めるか、味で決めるかという根本的な問題にぶつかる。

 

これも印象的な言葉で、一方では未だに大きいパンを良しとする風潮も。

けれど、当時と比較すれば、随分と味のほうへと着目されてきているのは確かであり、ハード系のパン専門店が軒並み増え続けているのは喜ばしいこと。

 

 

他には、一般層向けに綴られた内容が大半を占め、栄養素に対しての概要を述べ、食生活における注意点、当時から既に蔓延り始めた欠乏栄養素による弊害を次々にあげる。

アメリカのような偏りある生活によって引き起こされる生活習慣病についての危惧を語る内容は、当時からすれば随分と前衛的であり、現代ほど健康習慣についてや食生活に関してのガイドがなかったと思うと、パン屋という枠に捉われない先見が計り知れる。

また、家庭での食卓においてしっかりしたものを出さないのに、給食にはけちをつけるとは何事か、との主張は尤もであり、現代においても同様のことがあると思えば苦笑しそうになる。

 

最終的に、作物とは米にしろ麦にしろ、それらを食べるのではなく、「その土地の土を食べている」としたのが印象強く感じ、風土という物の概念を忘却しつつある現代人への戒めにも聞こえた。

 

他に印象的なのは、迷い箸の推奨。

迷い箸とは元来、行儀の悪いものとして非難の対象であるが、

「迷わなければ学べない」とし、

 

食べる人自身が色々と組合せて味を創り、味を発見する能力を高めることが、自らの場、食べる場を作る前提条件だと思うのです。

 

と主張する。

既に味を付けられた出来合いのものばかりを選び、ただ愚直にそれを食べるのではなく、自分の意思を持って、食材を組み合わせて食べることの必要性。

 

つまりは食卓においての自立性!

この重要性を幾度となく主張していた。

 

本書は食に対する概念や価値観、また農村や田畑に対する思念も語っており、

パン屋だけれど思想はパン食についてのみならず。

幅広い含蓄を露呈し、健康な食とは何か?また、健康な食卓とは何か?までも語り、

食という行為の意味と付随する栄養に関しての意見が満載。

思いのほか収穫のある内容の一冊ではあった。