book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

昨日は世界線の分岐ポイント

もう0時を過ぎてしまった。

昨日に何があったか?

それを知らない日本人はいないんじゃないかなと思う。

安部さんが撃たれたのを知ったのは職場の人から。

昼に聞かされ、最初、元総理の安部さんじゃなくて別の安部さんの事だと思った。

流石にそれはないだろうと。

でも、違ってた。

その後の仕事は何処か集中できず、帰宅後にも仕事やってたけど集中し切れず(締め切り昨日までだったので何とか終わらせたけど)。

別に安部さんのことが大好きだったわけでもない。それでもこの事件の重大さは容易にわかる。この事件をきっかけに、世界が変容するということも。

 

 

お酒を飲んだので、ほろ酔いでこれを書いている。

勢いで書いているといって過言じゃない。

それでも書かずには居られなかった。

恥ずかしながら自分は政治に疎く、人に多くを語るのも憚られるような無知で、それでも今だから書けることを書く。青臭くて、稚拙で、来年にでも読んだら「こいつ何いってんだ?」と自分に対して思えるような駄文を。

 

確かに行われた暴力は許されるべきではない。

今回の件に対して「民主主義に反する」という意見もネットで散見したが、しかしそれは違うと思う。

何故なら今回の事件も民主主義が生み出した結果であることは間違いないのだから。

そしてこう思うのは、今回の件が犯人一人の責任とは到底思えないから。

「民主主義は民意を反映する政治である」という前提が正しいのであれば、これが日本の内情を良くする事とイコールには成り得ない。

だって経済はどんどん悪くなってるし、少子化だってとまらない。

少子化に関していえば「子供が減ってる?じゃあ増やすための政策をすればいいじゃない」なんて発想は子供でも出来る。

それにもかかわらず大の大人の政治家が実行できないのは複雑な事情が絡み合ってるからだと説明する。手当てをもっと増やしたり、残業を減らしたり、育休をもっと一般化したり。言うは易し。既存の社会イデオロギーはそう簡単に変えられるものじゃないよ、と政治家は言葉たらずに言い訳するけど、個人的には簡単なことを複雑にすることが政治家の仕事だと思ってる。

少子化対策として極端なことをすれば当然反対意見が上がって「民意を無視してる!」と叩かれる。それじゃあと日和って無理に折衷案を作って双方不満足のまま終わる。政治家は仕事をしたと思って満足げ。でも実際には何の解決にもつながってない。

当選・再選を狙って好感度高くなる行動を取ることが政治家による第一の政策で、国民に対しての政策はフィードバックを最優先。利己的な行為をしてこそ勝ち組だ!という社会を政治家が作り出し、自らが先頭に立って実践する社会と言うのはなんとも皮肉的。

投票率を上げようと投票を呼びかけようとも、ネットでの投票を可能にしようともしないIT大国にっぽん(笑)

ネットで投票なんてやったら、不正やらウイルスやらで大変なことになるだろうがっ!と政治家が叱り、紙の書類を配布し「デジタル化を目指します!」と表明する。

そもそも高齢の政治家が多いのって逆説的な理由があるんじゃないか?と思ったりもする。というのも高齢の政治家の価値ってなんだ?といえば、これまでの経験だろう。過去にも似たような状況があった。そのときこうしてこうなったから、こうすればいい。

自らの経験を駆使してアドバイスを行い「なるほど!こうすればいいんですね!」と若輩の政治家から尊敬の眼差しを向けられ、自らのレゾンデートルを確認するわけだ。

でも重要なのは、昔と今の社会では大きく状況が違うっていうこと。

大きな違い。それはもちろん、ネットの影響力だ。

昔の状況と今の状況を比べる際、ネットの有無による差異は無視できないほど大きい。

それでも政治家がネットの有無による違いを無視して、昔の経験をそのまま生かせるのはどうしてだろう?

それこそ理由は簡単だ。

年寄り政治家が過去の事例を生かせるのは、今の政治にネットを介入させないから。

考えが古いからネットを政治に関わらせないのではなく、自分の経験を生かすため、自分の知見が合致する社会を維持するためにネットの介入を阻止する。

そんな考えが蔓延る政治と現代の、多彩な文化が広がるネット社会との親和性は最悪で、そりゃ若者の政治離れが加速するよねと思う。

政治の方から現代文化のほうに寄り添おうとするのではなく、寧ろ政治家の方から現代文化と距離を置こうとするのだから。

それを現状の政治家たち、椅子とりゲームで自分からは決して退こうとしない一部の層の存在が如実に表している。

恐ろしいのは「民主主義」という名のものとに政治家が利己的な行為を繰り返そうとも彼らは「民主主義」という盾に守られ、自身の行為を正当化できること。

だって、選んだのはお前らでしょ?と。

みんな平等だよと訴え、多様な価値観を認め合おうと謳いつつ、裏では広がる経済格差。こうしたダブルバインドを国民に押し付け続ければ、そりゃ切れる奴もいるわなと思わなくもない。

もはや国民の声は届かず言論によって現状の改変が不可能となった暴走状態の民主主義に対するブレーキとは。

暴力はよくない。殺人なってもってのほかだ。

その命題は変える必要はないと思う。

しかし、現状の「民主主義」はある程度変える必要があるのだと思う。

その証明は誰かが行わずとも、ここ数年の日本、その推移が代わりに証明してくれるだろうから。