「無」の科学
問題、次の事柄の共通点は?
ビッグバン、死の呪い、男性の乳首、反物質トラップ、超伝導、ペンギンのひな、キセノン。
答えはもちろん「無」だ。
このような出だしで始まる本書。
内容は一つのジャンルに囚われず、宇宙論、数学、物理学、脳科学、医学など取り上げ、「無」の謎と可能性について取り上げ、各分野の専門家が最新の知見を述べている。
つまりライターは一人でなく、エッセイ集のような組立になっている。
テーマごとに異なるサイエンスライターが記述しているので、
一項あたりはどれもがあまり長くなく、最低限にまとめられている。
そのおかげで専門的な内容ながらも、幾分か読み易い。
まるでTEDの動画を観ているかのようなまとまりの良さだ。
本文は第6章まである内容だが、各章にそれぞれあるのは4項目から5項目ほど。
さらに各項目は内容がつながっておらず、独立した内容。
つまりはお菓子のお楽しみ袋のような物で、各章内にそれぞれ異なったテーマの話が散らばっており、各分野の知見を楽しめる。
『脳の秘密の生活』と題された項の中では
「[休んでいる]脳の中では、ほとんど説明がついていない膨大な活動が行われている」
ことが発見されたそうだ。
意外である。
予想では、問題に取り組んでいるほうが脳はより多くの酸素を消費していると考えていたが、実験結果としては、計算をしているときと、目を閉じて休んでいるときで、酸素の消費量は変わらなかったとのこと!
休止状態の脳は、いったい何をしているのか?
これが、脳の新たな機能システムの発見につながるかもしれない。
その発見を目指しての研究や、結果がこの項では述べられており、脳の新たな可能性を示してくれている。
また、数学において”ゼロ”は非常に重要な存在。
けれど”ゼロ”いう概念は当初、ヨーロッパではなかなか受け入れられず、しばらくは使用を禁止されていたほど!
その興味深い経由も本書では述べられている。
医学の項ではプラセボ効果について、最新の知見が述べられており、これがまた興味深い内容。
中でも勇気付けられるのが
「すべてはうまくいく」。行け、自分を信じろ。現実主義は健康に良くないからかもしれないからだ。
楽天的な人のほうが冠動脈バイパス術等の手術から早く回復し、健康なときも、がんや心臓病や腎臓病なども患っているときも、そういう人のほうが免疫系がより健全で、長生きする。
と表明していること。
昔から迷信のように唱えられ、怪しい啓発本などでは常套句。
しかしそれらは迷信事でなく「前向きである事は健康に良い」とは医学的にも認められたという事実。
楽観的な考え方をする事で、ストレス性の炎症が抑えられ、またコルチゾールなどのストレスホルモンの濃度が下がるらしい。
『人を信用する』と表する項目の内容も、興味深い。
孤独でいると健康に対するさまざまなリスクを背負うが、社会的生活に満足している人は睡眠の質が良く、老化が遅く、ワクチンに対する反応も良い。
この影響は極めて大きく、孤独を解消することは禁煙と同じぐらい健康に良いという。
「心を開いた暖かい人間関係を築いている人は、病気にかかりにくく長生きする」。
有名な説ではあるが、その重要な点が新たな知見。
この生理的な違いは、その人が実際に持っている社会的ネットワークの大きさとではなく、自分はどれだけ孤独だと考えているかと、もっとも強く相関している。
これは
敵意を持った他人に囲まれているのは一人でいるのと同じぐらい危険だから
だという。
つまり、
孤独を感じるかどうかは、他人と長い時間過ごすかどうかではない。孤独な人は社会的脅威に対して過剰に敏感になり、他人を危険なものと見るようになる。
人と接する機会を多く与えたり社交術を教えたりするよりも、この態度を抑えることのほうが、孤独感を減らす方法としては、はるかに効果的だという。
今の時代、特に重要なのは
親友が一人や二人しかいないか、それとも大勢いるかに関係なく、自分の社会生活に満足だと感じていれば、何も心配する必要はない。
ということだろう。
ただ、医師が「宗教的信仰」が強いと判断された患者が、化学療法に対する反応が良く、より長生きしたという結果は、単に「宗教的信仰」が深い人たちは、薬の効果を信じやすい人たちだったのでは?と思えてしまう。
何もせずにせっせと働いている動物に注目した『何もしないのに忙しい』は動物生態の新たな形を唱え、ナマケモノに対する概念も覆る面白いテーマ。
また、プラセボとは逆の効果を持つ”ノセボ効果”の存在についてのテーマもあるが、これも面白い。
これによれば、確かに呪術師は存在しているといえそうだ。
内容はバラエティに富んでおり、知的好奇心を刺激される。
そして『無』を研究する事は、未開の領域とされている『死』について、何か判明することがあるかもしれない。
また、最新の宇宙論の項からは、新たな概念を教えられる。
物理法則は実は矛盾した存在。もしくはただの偶然の産物。
だとしたら、あなたはどう思うだろうか?
宇宙の起源を理化しようというこの試みは、物理学の諸法則に基づいている。それは科学ではふつうのことで、宇宙の根底をなす法則はあらかじめ決まった物として考えられる。
しかし、究極の疑問とからめて考えるなら、当然それらの法則の立場についても疑問を抱くべきだ。
物理法則、そして宇宙を表現する量子状態は、宇宙誕生以前から何らかの形で存在していたと想像したくなるが、そのような衝動は抑えなければならない。
北極点より北は存在しないのと同じように、物理法則や量子状態は宇宙誕生以前には存在しない。
確かに、物理法則は空間や時間のなかに存在しているのではない。この世界を記述しているのであって、この世界の「なか」にあるわけではない。
しかしだからといって、物理法則が宇宙とともに誕生したことにはならない。
もしそうだとしたら、つまり、もし物理宇宙と物理法則が完全なセットとして無から突然誕生したのだとしたら、物理法則に頼って宇宙の起源を説明する事はできない。
したがって、宇宙がどのようして誕生したかを科学的に理解するチャンスをつかむには、物理法則は抽象的で永遠の性質であると仮定するしかない。
懐疑主義者の中には、
物理法則はそもそも存在せず、人間が物理世界を理解するためにこしらえた創作物でしかない
と主張する人もいるそうだ。
突拍子もない意見だが、宇宙の謎を始め分からない事がまだ数多く存在するこの世界においては、決して間違いとは言い切れない。面白い主張だ。
また、
世界はいくつもあって、それぞれ法則が異なり、それらの多宇宙のうちごく少数の持っている特別な法則が、生命や、人間のような思索する存在の出現に必要であると提案している人もいる。
とのこと。
確かに、いまや多世界解釈は幅広く浸透しているが、その場合、他の世界の物理法則が、この世界の物理法則と同じだとなぜ言える?違っている可能性も大いにあり、そう考えると、謎も増すが面白みもさらに増す。
世の中は未だ分からない事だらけ。
その分からない事の楽しさを、本書はロマンと不思議さを用いて教えてくれる。妄想も空想もロマンであり、楽しく可笑しく、脳も体もシェイクする。脳がダンスしているかの如く、感情は激しく揺さぶられ、心地良い興奮を覚える。
脳にとって好奇心や刺激は、最高のカンフル剤だ!
最後に、健康を気にするあなたにこれを紹介。
午前9時、仕事中、薬の時間だ。いつものように、こっそり非常階段に出て薬を飲み込む。20分後、デスクに戻る。活力がみなぎり、仕事したくてうずうずしている。
40歳半ばに高血圧になってから、何年も規則正しくこの薬を飲みつづける。血圧を下げて血液の循環を良くすると聞いた。実際、高血圧はずっと前に治っている。
驚くことに、その薬は地球上の誰でもただで手に入る。
もしこの万能薬ともいえる薬を欲しいと思ったら、ぜひとも一読すべき価値のある本だ。